代ゼミ大島昇さん

なかなかするどいところを突いている。
なんとなく漂っている空気感を言語に置き換えてくれている。
http://www.yozemikikoku.com/new_essay.html

http://www.yozemikikoku.com/essay_24.html
「長いものには巻かれろ」であるのは明らか。つまり、内部告発者が、国家や組織の問題を社会に訴えたとしても、
「長いものには巻かれ」たほうが楽という理由で、多数派は現状維持を選択してしまう。
つまり、「どのようにして問題を解決するか」ではなく「いかに問題を隠蔽するか」「多数派に耳障りな現実を自覚させる人間を黙らせるか」となってしまう。

そのため「どのようにして問題を解決するか」という考えの延長上にある、「互いに理解しあって問題に立ち向かう(Communicate)」「原因を見つけ出して、相手に原因があればそれを是正させる(革命・デモ)」
といった、いわゆる「Communication」という概念そのものが生まれなかったのである。

逆に、「いかに問題を隠蔽するか」「多数派に耳障りな現実を自覚させる人間を黙らせるか」という概念に基づくと、
「仲間や友人を裏切ってでも、勝ち組(多数派)に身を置く」「問題を指摘する人間をキチ○イ扱いする(非国民め!空気が読めない!など)」
「踏み絵を作り、それから離れた人間を少数派というレッテルを貼る」という行動に出るのは当たり前だと言える。

http://www.yozemikikoku.com/essay_38.html前にも出てきた「『変』の暴走」がその秘訣なのです。
それは、風変わり度合いが、周囲へ与える迷惑や不快感の
度合いを上回っている場合です。その上に周囲にとって有
益なことをすれば、ドクター中松さんと同様に周りも諦め
がつくものです。