吐露

最近ストレスが溜まっている。
最近だけということはなく、ずーっと溜まっていて、
ますます溜まりに溜まって凝り固まっている。
以前体調がおかしいので病院で検査をしたがどこも異常がなく、
「これは心療内科の範囲ですね。どうしたの?何かあったの?」と
聞かれたことがある。
このとき、今のようにハッキリとしたストレスを感じていなかっただけに
驚いたことがある。これが抑鬱状態か、と。
この抑鬱状態の上に明確なストレスが圧し掛かってきている状態だ。

解消方法は原因を取り除くか逃避するしかないと思うが、
逃避し過ぎると、「こんなことやってもダメだ」と死にたくなってくる。
所詮逃避にしか過ぎない。元の位置に戻る。
原因を取り除くしかないのだが、取り除けない。
しかもそれに向き合いたくとも、日々の雑事に追われ、それさえもストレス
になり、日々の雑事もまともにこなせなくなってくる。
だけれども、それは待ったなしのものが多く、お腹が空けば食べなくては
ならず、風呂にも入らなくてはならず(どんなことがあっても風呂は絶対入る!)、友人(と思われている)からは誘いがあり、一応付き合いをせねば
(変人だと思われるので・・・たぶん変人だけど)ならぬわけで、逃避しようと
思わなくとも逃避状態になる。
逃避していても、あまりに引き篭もっていると、「ダメだ!出なければ!!」
と、犬ではなく自分の散歩に行くこともある。
ぐるぐるぐるぐると逃避と対峙とを行ったりきたりする。
日々の雑事に追われず時間的精神的余裕ができることはなく、
完全に対峙できる余裕がないのがわかりきっているので、
余計に死にたくなってくる。自分には無理かも、と絶望となる。
『ホンマでっか』で幸せの定義を語っていた。
「明日の方が良くなる」と思えることが幸せなんだと。
この絶望の負のスパイラルに入り込むと、明日の方が幸せなんて
思えるわけでもなく、死んだ方がいいんじゃないかと短絡的に考える。

書いているといろいろ湧き出てくることが多すぎてまとまりがつかない。
よーするにこのサイトは自慰ですってことだ。
人に何かを直接言うことは苦手だ。その前にいちいち関わるのが面倒だ。
面倒くさそうな人間だなと思うと、心情の吐露なんて絶対しない。
自己開示をしないと相手には受け入れられないそうだが、体の良い失敗談
や共通しそうな困りごとを開示するに留めている。とくに女には。
あとは食べ物とモノの話。人(女)の悪口は言ったほうが良いらしいが、
どうでもいい。あまり他人に興味がない。自分のことで忙しい。
それと実家に居た頃、さんざん近所の「ババア」や親戚の「ババア」が
口汚く人のことを罵り笑っているエゲツナイ姿を見てきているので、
ああいう蛆虫にだけはなりたくないと思っている。(と、これは悪口ではない。事実を書いただけ。)

人に何かを語るには危険がある。
なので、ここで「語るシス」を得ようということだ。
自分自身に語りかけることで、頭を整理しようという目論見もある。
(たまにぴえさんあたりには語りかけるかもしれないw)
やり過ぎない程度に語るシスを得、頭の整理をするために書く。
あー撃ち殺したい、といった反社会的なことはなるべく書かないように
注意しながら。(抽象的表現を本気に取るバカが世の中にはいるので。)
そんな感じかな。
心情の吐露だけれども、真情の吐露は避ける方向で。