中島義道と御恩と奉公と

よしみっちゃんbot

小さい頃から「おまえは跡取りだ」と言われていた。
三重から出られないイメージを刷り込まれ、婿を取って・・・といった話を何度も聞かされていた。
今になって思えば、あまり大した「家」ではないので、どうでもいいわけなのだが、小学生の子供にしてみては、気が重い話だった。子供の頃から育ててやった恩を返せと言われ、恩を返すまでは自由になれないと思っていた。御恩と奉公の関係。

御恩を返せねば人でなし、と悩んでいた20代の頃。
振り切って出てきた東京で働いていても、何度も電話がかかってきて「(実家に)帰ってこないとおまえを産まなかったことにして実家に帰る」などと、母親ヅラに脅されていた。会社にも電話がかかってきたり、祖母(母親ヅラの母親)にも迷惑がかかるようなことを言われた。祖母は嫌いではなかったので、結構これは心理的に堪えた。(よく考えれば、妹がいるので、実家に帰るというのは意味不明なのだが。)
また、休みの日に東京まで夫婦で車で来られたり。駅まで逃げたが、追われたので駅前の交番の人に見られ、知らない人に付きまとわれていると警察官にパスして電車に乗ったこともあった。

そういうこともあり、恋愛関係もこじれ、会社ではミスをかぶせられ、訳がわかんなくなって会社を辞めた。本当は別の会社に移ろうかと他社を受けてみたけれど、心が折れてそれきりにしてしまった。(一番やってはいけないこと。)そして、ひきこもりになった。

自分はどこかおかしい、自分は何が間違っているのか。永遠これの繰り返し。本やネットで自分のおかしさを探した。2ちゃんねるで心に刺さることを敢えて読んだ。質問して酷い回答を貰ったり、無視されたり、煽られたり。それでも読んでみた。リアルでは対応してくれないことを返してくれるから、酷い書かれようをされようが、相手してくれるだけありがたかった。自分とは違う考え方をいろいろ知る機会でもあり、スルー耐性もかなり付いた。

2ちゃんねるには、いろいろな本を紹介してくれる人もいた。興味の湧いたものをアマゾンなどで注文して読んでいた。『毒になる親』もその一つ。これを読んだとき、あ・・・と思った。当時ACが流行っていたが、なんか違うと思っていた。(父親ヅラはアル中ですが。)毒親本は、いろいろ当てはまり過ぎていて、自分が何の精神異常者なのか見当を付けようとしていたのがバカバカしくなった。

しかし、死にたいと思っていたのが、余計に死にたくなった。おかしな親から生まれた自分はまともなわけがなく、また育ち様もおかしい。血の一滴たりとも残らず交換したい・・・いや、それをやっても細胞からして…と、自分で自分を消したくなった。

また、家にいても食事はなかった。働かざる者食うべからず。何かを勝手に漁っては食べていた。母親ヅラがルーズな買い物をするので、冷蔵庫に無くとも何かしらはあり、それをなんとか食べていた。(そのうち妹が実家に戻ってきたら食べるものがあるようになった。当時の記憶はうっすらしたものだけれど、そこの部分だけは覚えている。)親の私への扱いとはそんなものだった。夜は雨戸を閉めろとも。明かりでいるのがわかるから。見合いさせるとか妙なことを言われたり。

当時の小泉政権も私を追い立てた。
「税金払わぬ者は死ね!」の政策。
活きなくてもいいので、税金を払え。
ただ生きているだけの税金払えない者は死ね。
私にはそうとしか聞こえなかった。生きていてすみません…と誰かが昔言っていたが、そんな台詞が頭に自然と浮かんでいた。存在してすみません。

デフレスパイラルに自己責任にパラサイト。山田昌弘が大嫌いだ。(自分はさんざんパラサイトして大学でポストを得た上の安全圏から人を批難する。)斎藤貴男の機会不平等に苅谷剛彦。社会の構図を知らずに、地図を持たずに社会に出て、迷子になって棘の道を歩いてさんざん傷を負ってから、どういう道があるのかわかっても、もう歩けなくなっている。知らないほうがまだ良かったくらい。甘えの構造だとかなんたらかんたら。どんどん自己責任。ただでさえ心が追い詰められているのに、どんどん社会の風潮からも追い詰められる。もし親の要求レベルが高かったら、もうちょっと違ったところにいて、1人暮らしももう少し楽にできて、逃げ切っていたんだろうな…なんて考えていた。

そして、(たぶん)2ch中島義道の本を知り、なんだか面白そうなのでネットで注文して読むと、なんと自分が悩んでいた部分を明確に突いているのだろうか…と。御恩御恩と言いますけど・・・と、なるほどなーと気が少し楽になった。他にも書かれている部分を幾度と無く読み、親ヅラに抗議することで東京に行かせてもらった。(親ヅラも世間体的にもてあましていただけであっただろうが。とりあえずゴミがここから居なくなれば、近所に悪臭が漏れることはない的な。)

東京に戻ってきてからも、しばらくひきこもりを続けていた。私の行動時間は夜中で、まったく日に当たらない生活を続けた。夜中に散歩に出かけ、朝太陽が出る前に帰るといったことをやっていた。太陽と追いかけっこ。(ちょっとこじれることを目にしていたので、それもあってこじれていたかも。)

それからどうしていたのかあまり覚えていない。ただ、大学の講義というものは、もぐってもいいものだと、どこかの書き込みで見て思い立ち、電通大の中島氏の講義のある日時をネットで調べて行ってみることにした。(その前に新宿…と思ったが、ハードルが高過ぎた。心理的距離も近過ぎて怖いのでやめた。)

電通大の講義では、私の知らないことばかり話してくれた。なるほどなぁ・・・と思いつつ、黄金比の話では、当時かなり太っていたので、さうですか…と。議論を次回するという場合は、学生ではないので遠慮しておいた。本当は一番聞きたい部分ではあったが、授業料を払っていないのに機会を得るのは間違っていると思ったからやめておいた。

本と本人の講義と、もうちょっと何か聞きたい部分もあったかもしれないが、本人も私みたいなのに話しかけられても迷惑だろうと思う部分と、こちらもかなり迷惑(失礼w)な部分もあったので、迂闊に話しかけようとは思わなかった。ただ、講義の中で出てきたもので、ネタ元は何か二、三、聞いてはみた。何か深く追求されたらどうしようかと緊張したが、何事もなく、ほっとした。

そうしているうちに、本当の悪人を目指して生きていこうかな、なんて思い出し、とりあえずテニススクールに通ってみたのだった。(と思う。)