パラドックス

ずーっと感じているストレスの正体の一つは、これだな。

ボランティアや無償労働が大嫌いで、
搾取されるのが大嫌いで、
やりたくないことをタダでなんでやらなければならないのか、
それをやることでやりたいことの時間がなぜ減らされなければ
本来やらなければいけない生活をなぜぶち壊されなければいけないのか、
と抵抗するにあたり、抵抗することがストレスとなっていると感じる。

たとえば、賃貸マンションなのに、管理会社に問い質しても
「そんなものあったっけ?」というような自治体がなぜか存在し、
しかも勝手に会員にされているようで、勝手に役に任命される。

・・・。ウザイ。チョーウザイ。
しかもマンションに留める自転車にはステッカーを貼ることに
なっているが、管理会社に聞いたら、管理人さんからもらって
ください、とのこと。なのに、うちのマンション、その自治会が
仕切っている。頭湧いてる。

まだ役には当たっていないけれど、もし勝手に決められた場合、
こちらとしては対抗手段を講じなければいけない。
法律的にはどうあるのか、まずそこのところをはっきりさせなけ
ばいけない。
幸い、最高裁判例があるので、こんなものは一蹴だが、もしも
インターネットのない時代だったら、たぶん本屋に向かっただろう。
この辺りには大きな本屋はないので京都か梅田まで1時間ほどかけ
なければいけない。
そして、何が答えなのか、どういう本を見ればすぐにわかるのかは
弁護士などのプロなら簡単だろうが、素人にはどこから探せばいい
のかさえわからず、途方に暮れつつ、本屋に行くはめになっただろう。

そもそも、自治会の役という“労働”をしたくないがために、
対抗策を調べようと思ったものの、本屋まで出かけ、大量に
ある本を一冊一冊答えが載っているかどうかもわからず探す
という“労働”を強いられるハメになっている。
労働を拒否するためには、労働をしなくてはならないという
大変矛盾した話である。

これは労働運動にも当てはまる。
長時間労働サビ残を改善せよとデモを起こすならば、その
根拠や改善策を調べて明示し、デモの正当性を示す必要が生じる。
労働をしたくないために、新たな労働が発生してしまうパラドックス

このパラドックス労働をすることになる人は、金にも時間にも余裕が
あるわけではなく、(だからデモするわけで、)毎日終電まで働いて
寝不足で食事も適度な時間に適度なものを摂っていないかもしれない。
この人が余暇を潰してまでして新たな労働(デモ)に参加しよう
という気にはなれないだろう。
またデモを行うことで余暇を潰し、休息が十分取れなかった場合、
本業が疎かになってしまう危険もある。
そしてもし本業に休息の十分不十分に関係のない支障が出た場合、
経営者側としては、新たな労働が加わったため、肉体的にも精神的
にも疲労が出て本業に支障が出たんだろう、といちゃもん(レッテル)
をつけて、なんらかの罰を与える可能性もある。

 ・・・眠いのでここまで。推敲訂正なし。