東京オリンピック

決まってよかったのか悪かったのかわからない。
自分が生きている間に見られるかもしれないから良かった?のか?

といっても、チケットが取れるかどうかもわからないのだけれど。
そもそもオリンピックのどの競技を見に行きたいのか、よく考えてみるとわからない。
特に応援している競技というと、テニスだけれど、フェデラー生で見られるなら見てみたいかな?
ま、これもチケット取れないだろう。
そこまでお金出して見たいか?というと、どうでもいいように思う。
なので、特に見たい競技はないことになる。

そんな感じなので、オリンピック招致はどっちでもよかった。
テレビで朝5時台に世田谷や某所で集まって歓喜する人たちに妙なものを感じた。
サッカーワールドカップ、あのノリと同じ。
一体感?
よっぽどオリンピックが好きなのかな?
よくわからない。
あのノリに乗れる人が幸せなんだろうか。
民主主義の多数決の多にある人たちは、こういう人たちなんだろうか、など。

テレビを見ていたら、さっそくマンションを購入した人がいるそうだけど(ステマかもしれないけど)、浦安の液状化を一瞬どこかに置いて、この勢いで買ってしまって、オリンピック前、あるいは後に地震が来た場合、どうなんだろう?と考えつつ、世の中にはこういう人もいるんだなぁ、と関心した。富士山噴火、東京直下型地震などが起きてしまった場合、新しく作った箱物は全て無駄になってしまうんだろうか、とも。

それ以前にオリンピックを開催することで、国の借金が増えたり、東京だけが開催するために全国から税金を集める目的で増税するんじゃないだろうか、と憎憎しげな発想も湧いてきた。
結局東京のために、借金増えて増税ですか、と。
自分に還元されないものなので、腹が立つ、といいつつ、ちょっとミーハーな部分もあって、オリンピックもいいかな、と思う自分に情けなさを感じるのであった。(ちびまるこ風)

ただ、福島の問題は全然解決されていないですけどね。
あと、海関係の競技は父島母島あたりでも開催してみてほしいな。
海外の人、あんなところも東京だったか、とビックリで笑えるんだけど。
尖閣諸島が東京のものになっていたら、もっと面白かったかもしれないけど。